株式会社アパマンプラザ 〒064-0809 札幌市中央区南9条西4丁目1-12 お客様駐車場完備
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第二の鉄人 | 東京都在住 加藤 隆 | |
「私の投資体験談」V |
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第1期 その後【東京都杉並区:上北沢物件購入】 1987年(29歳)、上北沢の中古物件を、1,670万円で購入しました。 上北沢につきましては、購入価格1,670万円に対し、借入金1,540万円、自己資金130万円。 上北沢については、高級住宅地・「住みたい町上位」の下北沢に名前が似ており、下北沢より 「上」なのかなと思い(?)、購入しました。 因みに、その後、この上北沢にある教会に時々通うようになりましたので、しばし立ち寄っており ます。 【博多物件購入】 1987年(29歳)、博多の新古物件を、820万円で購入。 博多につきましては、購入価格820万円に対し、借入金770万円、自己資金50万円でした。 博多については、博多駅・祇園駅近辺の立地の良い物件で、未だ、東京の地価上昇の兆しが、 地方に波及する前の時点であり、当時御世話になったM社営業マンの方からの、1本の電話で、 即決購入した物件でした。 その後、「博多駅再開発計画」もあり、阪急デパートオープン予定となっております。 【東京都世田谷区:千歳烏山物件購入】 1988年(30歳)、千歳烏山の中古物件を、2,000万円で購入。 千歳烏山につきましては、購入価格2,000万円に対し、借入金1,950万円、自己資金 50万円でした。 千歳烏山については、当時、勤め先の同僚が、大手企業の副社長令嬢であり、千歳烏山に お住まいとのことですので、高級住宅地というイメージがあったので、購入しました。 (私はと言えば、当時、家賃月6千円の独身寮に生息しておりました。) エントランスはおしゃれで、1階に、パン屋さんと、クリーニング屋さんが入っており、便利です。 この頃は、未だ、不動産投資は、マイナーな存在であり、契約当時未だ20代の私が、ジーパン 姿で契約に行った際等、売主の方が、買主さんはどちらさんでしょうか?と、営業マンに尋ねられ たようでした。 買主が、息子(私?)を連れてきた位に思われていたようです。 その後も、あまりにみすぼらしい私がトイレに行った際、売主さんは心配になって、M社営業マンに 「買主さんは、お金払えるのでしょうか?」と聞かれたとのことでした。 営業マンの方は、「買主さんは、ああ見えても、3物件のオーナーなんですよ。」と、言って下さった そうです。 今でこそ、若い方も不動産投資をやられていますが、当時においては、不動産投資会社M社に とっても、若干20歳代は、珍しい存在だったとのことです。 因みに、現在、住んでいる所から、比較的近い場所ですので、時間があると自転車で見に行って おります。 尚、この千歳烏山物件等において、「大規模修繕一時費用事件」が起こったのです。 【東京都渋谷区:初台物件購入】 1989年(31歳)、初台の中古物件を、2,480万円で購入しました。 初台につきましては、購入価格2,480万円に対し、借入金2,450万円、自己資金30万円。 初台については、新宿の隣駅であり、徒歩でも可能です。 新宿近辺に目星をつけていた私は、ずばり、立地のみで購入しました。 その後、西新宿再開発の延長線上で、初台に、「東京国立劇場」・「オペラシティ」高層ビルが できました。 株式を売却しては頭金にし、M社中古物件を1987年に上北沢と博多で、1988年に千歳烏山で 1989年初台と毎年買い増してきたわけですが、上北沢、千歳烏山、初台については、何れも、 京王線で新宿迄直通という立地の良さです。 東長崎(1,210万円)の頃は、未だ、バブルの兆しもありませんでしたが、その後、上北沢 (1,670万円)、博多(820万円)、千歳烏山(2,000万円)、初台(2,480万円)と、徐々に 価格が上がっていき、後になってみれば、バブルの兆しが徐々に出始めたと言えるかなと思います。 一部物件は一括借上制度を活用しました。 バブルの最中は、投資セミナーに行けば、コーヒーにケーキも出ました。 ちなみに、箱根物件・絵画視察ツアーに至っては、送迎・食事・宿泊付の1泊旅行が無料だった のです。 ところが、徐々にバブルの兆候が出だしており、初台の頃は、結果的に高値掴みだったと言えます。 尚、この初台物件等におきまして、「火災事件」、「大規模修繕一時費用事件」が起こったのです。 そして、やがて、「販売、建物・賃貸管理・家賃保証会社であるM社倒産事件」、「団体信用生命 保険会社D社倒産事件」、「家賃不送金・ローン引落不能事件」へと、つながっていったのです。 |