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第八の鉄人 | 東京都目黒区 T.S.(公務員) | |
実録体験談-私のマンション投資歴(2) |
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" 昭和55年。岡山から東京へ転勤が決まり、1120万円で購入し6年間住んでいた建売住宅は、2200万円で売却しました。岡山と同様、上京時は家賃の安い、古くて小さな公務員住宅に入りましたが、直ぐ不動産のリサーチをし、目白の2250万円3LDKファミリータイプのマンションを購入することにしました。岡山でのローン残額800万円を完済後、残金1400万円に、新しい職場で新たに組んだ住宅ローン600万円とF銀行より300万円という資金計画で購入、そして入居。期待や夢、それと少々の不安に包まれて、大都会東京での生活がいよいよ始まりました。 岡山でも偶然の朝の挨拶というのどかなもので銀行とのお付き合いが始まりましたが、ここ東京ではそんな幸運も望めはしません。一つの銀行に給与振り込み、公共料金の自動引落とし等をまとめ、借入金の返済日は厳守、そして30万でも50万でもまとまったお金が出来るとその度ごとに繰上返済をし、地道に信用と実績を積み上げていきました。そのうちに、ある時は「Tさん、これ以上返さないで下さい。」などと言われ、その分を定期預金のノルマにまわしてあげたり、お付き合いは次第に深まってゆき、今では2行と私の思い通りの取引ができるまでになりました。が、今でも最初の頃と気持ちは全く変わりません。それは、無理をしない事、そしてどんな小さな約束も必ず守るということです。 " 東京でのマンション投資" 当時の右肩上がりの景気に乗り、550万円で購入した岡山のマンション2戸も860万円で売れたため、今度は池袋や新宿などでワンルームを中心としたマンション投資を始めました。その頃のマンションは頭金1割で購入できたのですが、それでは家賃収入でローンを支払うことは出来ません。そこで頭金を3割〜4割にすると、ローン返済額を家賃収入が上回る計算に計算になるので、私はマンションの売却による資金1600万を元手に、池袋に1戸、新宿に3戸、総額4410万円を購入することが出来ました。 地方から出てきて、いきなり4戸の大家さんになり、それぞれのメークドラマが生まれましたが、それらは私にとっていい思い出になっています。今回はその中の一つをご紹介しましょう。 新宿の南口、現在の高島屋のすぐそばにあったGマンションで起こった出来事です。東京に来て2年目の夏、私は体調を崩してしまい、入院、手術を致しました。丁度運悪くその時Gマンションで排水関係のトラブルがあり、私が貸していた部屋はトイレから逆流した汚水で水浸しになってしまったのです。入居者がら私へ何度か電話が入っていたそうですが、あの頃は留守番電話も携帯電話もまだないため、実際に事情を知ったのは事故から1週間後、抜糸をした翌日で、まだ青い顔をしてベッドに横たわっている時でした。驚いた私は、とにかく様子を見に行かなくてはと思い、身内に不幸だとか何とか適当な嘘をついて即退院の手続きをし、タクシーに乗って現場へと直行しました。(なぜ無理矢理退院までしてしまったのか、今思い返してもゾッとします。)部屋についてみると、ドアの脇に濡れた布団と書類が積み上げられあり、部屋の中は管理会社に応急処理はされているものの、水道は止められ、トイレにはまだポンプが設置されたまま、そして床には布団の変わりに新聞紙が敷かれてある、といった状況でした。入居者は九州から医大を目指して勉強に来ていた予備校生です。佐世保で真珠の養殖をされている御実家の後継ぎ息子さんですが、どうしても医者になりたく家族の反対を押し切って単身上京してきているため、東京には身寄りもなく、かといって実家に援助してもらうわけにもいかない、という事情でした。都会の人と違って大家である私に文句を言うでもなく、ただ淡々と心細げにしょんぼりと話をする彼を見て何とも可哀想になり、すぐにまたタクシーに乗り、家から一番上等の客布団一式とタオル、生活用品等を車に積み、再び彼の元へ届けに行きました。これらの作業は全て運転手さんに手伝ってもらったのですが、術後でフラフラの青白い顔の私と、睡眠不足とストレスでやはり青い顔の彼を見て「いやあ〜、大変ですね〜。」とひどく同情されました。 結局、原因は判らずじまいでしたが、その後再び水も出ることはなく、彼は相変わらず文句も言わずに家賃をきちんと入れ続けてくれ、翌年の春になり「無事、九州大学に合格しました。」と連絡をくれました。それではお祝いをしましょうと、家に呼び、あの事件以来の再会を喜んで鍋を囲み、これからも元気で頑張っていいお医者様になってねと、握手をしてお別れをしました。欠陥マンションもそれからすぐに買ったところに引き取らせましたので、色々あったけどこれで一件落着と思いましたが、実は彼とのお付き合いはそれから16年経った現在でもまだ続いているのです。まず、彼が帰郷するとすぐに親御さんから手紙が来ました。例の事件での私への感謝の言葉と、お礼に真珠のネックレスが添えられていました。そして彼からは、今日まで一度も欠かさず御中元、御歳暮が届けられてきます。私はそのつど「ありがとう。でももう、十分だから、これっきりにしてくださいね。」と何度もお断りするのですが、「今、自分があるのは、Tさんがあの時、親切にしてくれたからなんです。」と言って聞き入れてくれません。年賀状も親御さんからも彼からも毎年届き、月日が経つごとに「大学を卒業しました」「結婚しました」「開業しました」「子供が産まれました(×4回!)」…と楽しいニュースが増えていきました。一度、仕事で九州へ出張する機会があったので、彼を訪ね、奥さんに再度、これ以上のお気遣いは無用とお願いしたのですが、「送ると必ず、Tさんが元気な声でお電話掛けて下さるので、そのお声が聞きたくて、やめられませ〜ん。」と言われるので、皆で大笑い!そして「私の子供たちだから、きっと東京で学びたいと言いだすでしょう。Tさんが東京にいらっしゃったら、それだけで安心なので、御縁は切りたくないんです。」とまで仰るので、これからはお断りせず、このままお付き合いを続けていこうと思いなおしました。彼らの夢は一家揃ってディズニーランドに来ることだというので、その時は是非家に泊まって、と約束しました。子育てが一段落するのはまだ先ですが、その日が来ること、そして4人の子供たちがどの様に成長していくか、とても楽しみにしています。 不動産の賃貸収入を確保するには、貸す側の立場だけでなく、借りる側の身にもなって考えてあげることが大切だと思います。困っている時はとにかくすぐに解決してあげる事、そしてどんなトラブルが起きたときも業者さんに任せきりにせず、必ず私からも直接電話を入れて、誠意を伝えるようにしています。 契約の時はただ印鑑を押すだけの、貸手と借手という立場でしかありませんが、私の場合は、トラブルがあった時から人間関係が始まっているような気がいたします。 人様から家賃を頂いて、こちらも助けていただいているのに、相手も助けていただいたと思ってくださるのは、私の本職である公務員の世界では、なかなか味わえない体験です。私が不動産の魅力にとりつかれている理由はこんなところにもあったのです。" |